発明の父といえば「トーマス・エジソン」を思い浮かべる人が多いかと思います。
しかし、つくば市にも江戸時代に発明王と呼べる男がいたのをご存知でしょうか? 数々の発明品に加え、建築物を設計し、精密な地図まで作成したその男の名は「飯塚伊賀七」。通称、「からくり伊賀」。
そんな「からくり伊賀」についてご紹介します。
飯塚伊賀七とはどんな人物?
「からくり伊賀」こと、飯塚伊賀七は宝暦12年(1762年)、現在のつくば市谷田部の名主の家に生まれました。広大な田畑や山林を持つ比較的裕福な家庭で育ち、伊賀七自身も名主となって谷田部の住人と藩との調整役として地域に貢献していました。
学問にも長けていた伊賀七は、建築や和算、蘭学など幅広い分野に精通していました。
そんな伊賀七が発明家として開花したのは40代後半からだと言われています。「自分の発明したもので世の中を良くしたい」という思いから、数多くの発明品を残して谷田部の人々を驚かせていたといいます。
「矢田部にすぎたるもの三つあり、不動並木に広瀬周度、飯塚伊賀七」と呼ばれ、谷田部の象徴的な人物だったそうです。
からくり伊賀の発明品
そんな谷田部の「からくり伊賀」はどんな発明品を発明したのでしょうか?ここに代表的な発明品をご紹介します。
1. 大型そろばん
縦34cm×横37cmの大型のそろばんで、寛永通宝を珠にしていたそうです。伊賀七はこのそろばんを発明や設計の計算に使用していたといわれています。
ある日、川に打ち込まれた杭が抜けなくて人々が困っていると伊賀七が通りかかり、そろばんを取り出して計算を始め、抜き方を指示したところ、たちまち杭が抜けた、という逸話も語り継がれています。
2. 酒買い人形
伊賀七の家の斜め向かいに酒屋があったそうで、伊賀七の家からからくり人形が街道を横切って酒を買いに行ったそうです。
人形が酒屋に着いて酒屋が酒瓶に酒を入れると、引き返して伊賀七の家に戻る仕組みになっていました。瓶に一定の量の酒を入れないと動かない仕組みで、酒屋が酒の量を誤魔化せないようになっていたそうです。
3. 茶くみ女
茶くみ女のからくり人形は、来客にお茶を出す際に使用されたようです。
お茶の入った湯飲みを乗せると、あらかじめ設定していたルートを進み、客が湯飲みを取ると歩くのを止める仕組みになっていました。
4. 農業機械
伊賀七は多数の農業機器も作っています。
伊賀七が発明した自動製粉・精米機は、綱に吊るした重りを歯車に括り付け、その重さを利用して歯車を回転させるという仕組みで、風車や水車の動力がなくても自動で製粉・精米ができる画期的なものでした。
5. 和時計
和時計は高さが2mある大型のもので、朝と夕に太鼓や鐘を自動的に鳴らして町の人に時を知らせるとともに、飯塚家の門扉を自動で開閉させたそうです。時計が自動ドアの役割も果たしていたんですね!
「伊賀七の和時計」と呼ばれ、伊賀七の代表的な発明品です。
6. 人力飛行機
一説には、伊賀七は飛行機の研究もしていたそうです。
大きな翼を作ってそれを身につけ、屋根の上から飛び降りて試行錯誤を繰り返したといわれます。しかし、筑波山から谷田部まで約20kmの距離を飛行実験しようと藩に許可を願い出たところ、「殿様の頭上を飛ぶなどけしからん」と許可が降りなかったとか。
7. 五角堂
五角堂は伊賀七の設計した代表的な建築物です。名前の通り、五角形の建築物で、奇数形の建物は技術的にも建設が難しかったことから、当時からかなり注目された建物だったようです。
五角堂の内部には歯車式の脱穀機が備え付けられていたそうで、現在では茨城県の史跡に指定されています。
伊賀七の発明品はそのほとんどが現存しませんが、復元されたものや伊賀七に関する資料などは「つくば市谷田部郷土資料館」で見られるそうです。
施設名 | つくば市谷田部郷土資料館 |
住所 | 茨城県つくば市谷田部4774−18 谷田部保健センター (1階 つくば市谷田部交流センター) |
電話番号 | 029-836-0139 |
営業時間 | 10時00分~16時00分(月曜休館) |
思えば、「スーパーサイエンスシティ」として知られるつくば市ですが、江戸時代から伊賀七のような発明家を輩出する科学のまちだったんですね。
皆さんもつくば市谷田部を訪れた際は、「からくり伊賀」の発明品のことを思い出してくださいね。